親戚の小太りおじさんが、イケメンおじさまになった瞬間♪
こんにちは。砂川瑞穂です。
皆様お元気ですか。
今日は5月18日、水曜日。
職場のテレビで、なにやら歌が流れていました。
NHK朝ドラの主題歌だそうです。
「ちむどんどん」でしたっけ。
沖縄が舞台のドラマと耳にはさんではおりましたが
出勤時間とも重なり、これまで全く見たことがありません。
ふーん。そうかー ( ・-・)
自分的にそんな感じです。
なんで私は、ふーん、なのか?
面白いので考えておりました。
恐らく「フィクションとして見るには自分にとりリアルすぎる時代」であり
「ドラマを見て、自分の記憶との微妙なズレを感じ、心がムズムズするのを避けたい」のでしょう。自分。
「ちむどんどん」は「胸が高鳴る」こと。
胸騒ぎとか、心がムズムズすることを、那覇の人は、
「ちむわさわさー」と言ってたような気がします。
あの60年代、復帰を挟んで70年代、
ちむわさわさー。
なんか妙な時代でしたねえ。
それならば自分で書くのもアリかも。
と言っても、子供の頃ですから♪
毎日のびのび過ぎるほど、のびのび遊び回っておりました(*^^*)
1972年5月の復帰当時、私は小学低学年。
丈ちゃん兄さんは高校生、
章ちゃん兄さんは小学高学年でした。
登校時、歩道橋を降りていくと、右手に当時の琉球政府の看板がありました。
「祖国復帰まで あと◯◯日」と日付が変わるのを眺めながら、学校に向かったのを覚えています。
……………………………
職場の皆さん「えっ、ちむどんどん見てないの!?」
私「あー、『ちゅらさん』は毎日見てましたけど、今回は見てませんよお~」と笑って、
続いて「70年代初めの、復帰前は
フツーにお小遣いに1セントや5セント硬貨をもらって、お菓子を買いに行きました♪」
これはもう、私の年代の定番、鉄板ネタです。
(本土でこれを話すと大抵「へえ~~!」と喜んでくれます)
「お年玉は25セント硬貨、たまに1ドル札が定番でした♪」と続けると、
「おおー」とさらに盛り上がります♪
あの当時は1ドル=360円でした。
お年玉袋から、ジャーン!
1ドル札!
ワシントン大統領様の肖像画が懐かしい♪
五十代同僚が思い出していわく「そういえば、うちのお年玉は聖徳太子だった♪」
「すごい!聖徳太子!」「いやそっちじゃない五千円札よ(笑)」
……………………………
ブログ書きながら、ふと想起する記憶いろいろ。
一人クスクス笑ってます( *´艸`)
そうだそうだ、忘れてました。
たった今、それを思い出しました。
書いておかなくては。
父の弟、つまり私の叔父さん。
玄ちゃんおじさん!
大映や松竹の映画から抜け出てきたような男前の玄ちゃんおじさん(笑)
あれは復帰目前のお正月でした。
あけまして、おめでとう、ございますうー
うやうやしく挨拶する子供の
魂胆は勿論「オトシダマ♥」
怒ったようなおじさんの声
「はい!!」
別におじさんは怒ってるわけではありません。
子供の方でも慣れっこです(^。^;)
ササッと素早い仕草で章兄さんに、そして私にくれたお年玉袋✨
二人は、そーっとお家の裏に回り、わくわくしながら袋を開けました。
中から出てきたのは………
リ、リ、リンカーン!
リンカーン大統領は、5ドル札!!
章兄さんと二人、目を見開いて、喜ぶより先に顔を見合わせ、無言ぼうぜん……
章兄さんの顔には
「どうしよう、自分たちこんなにもらっていいのか?」と、書いてありました。
たぶん、私の顔にも。
いいんです(笑)
そーっと、今度は、おじさんの顔をこっそり見に行った二人。
おじさんは、バイオレット(紫パッケージで知られる、超ヘビーな沖縄タバコ)をふかしながら、オバアと談笑してました。
それまでただの太った短気なおじさんと思ってた玄ちゃん叔父さんでしたが、そうじゃなかった✨イケメンな叔父様の笑顔、きらきら輝いてみえました✨✨✨✨✨
玄ちゃん叔父様、奮発してくれてありがとうね!!!
(はい5ドルからは「叔父様」です(*^^*))
これぞ正調、ちむどんどん、私のブログ♪ぬかーぬか行かでぃ(みゃーくふつ・ゆっくり行こう)♪